眠法・軽法・笑法(5) ~正義~

田辺 信彦

正義は勝つ
それはきわめつきの難しい裁判だった。依頼主側には、なにひとつ有利な点がなかったのだ。それでも弁護士は秘術の限りをつくして闘った。その結果、陪審員は何時間も議論を重ね、とうとう、無罪、つまり弁護士側の勝訴を宣告したのだった。
弁護士はさっそく彼の依頼主に電報を打った。
「セイギ ハ カッタ」
すぐに返電がとどいた。
「タダ チニ コウソ セヨ」

植松黎編・訳「ポケット・ジョーク<7>おまわりと泥棒」167頁
同趣旨のものとして、田辺貞之助「続ふらんす小咄大観」263頁
河盛好蔵訳編「ふらんす小咄大全」116頁


〔参照条文〕
弁護士法第1条<1> 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
<2> 弁護士は、前項の使命に基づき、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。

 正義の味方と言えば、鞍馬天狗、月光仮面、鉄腕アトムにスーパーマンなどがその代表だろうが、現実の世界において何が正義かと言えば、時代やその立場によってその内容は異なってくる。かつては足利尊氏が国賊とされたり、戦前の日本においては、満州帝国の創設や朝鮮半島の併合が正義とされていた。戦後においてもベルリンの壁の建設やスターリンの粛清が、あるいはヴェトナム戦争の北爆やアパルトヘイトが「正義」とされる国もあった。イラク戦争やパレスチナ問題になると、表面的な現象だけに囚われていると正義を見誤る虞れがある。正義も歴史的、宗教的な、また政治的、経済的な背景の上に築かれた世界観に左右されてくる。

 弁護士法第1条は弁護士の使命として基本的人権の擁護と社会正義の実現を掲げている。弁護士こそは社会正義の実現の担い手でなければならない。
 そこで、新米弁護士が弁護士登録した時に初めて出す挨拶状には新米弁護士の抱負として基本的人権の擁護と社会正義の実現について述べられていることが多い。
 実際にあった話であるが、司法研修所の司法修習生が修習修了の際の寄せ書に「天よ、正義に力を与え給え」と書いた。すると他の司法修習生が「天よ、真の正義に力を与え給え」と修正した。これを見た別の司法修習生は更に「真の正義ここにあり」とコメントを加えた。この最後の司法修習生は、弁護士となり後に司法研修所の刑事弁護教官を務めたり、弁護士会の副会長に就任した人であるが、名前を「正義」といった。

 世間では訴訟にすれば必ず正義が勝つと信じて疑わない人がいる。しかし、これは全て誤りとは言えないまでも正しくない。訴訟は正しいことをしていただけでは勝てない場合がある。<1>正しい行動であったということに加えて<2>証拠が揃っていること<3>訴訟技術が優れていること<4>訴訟に要する費用(弁護士費用、鑑定費用など証拠収集のための費用も含む)が確保されていることなどが必要である。訴訟の進め方によっては正しくても勝訴出来ない場合はあるのである。訴訟技術が優れているか否かは当事者が依頼する弁護士の力量によることになるが、訴訟における弁護士の力量は声が大きく押しが強いかではなく、熱意と分析力、推測力、情報収集力、判断力、注意力、交渉力、文章力、頭脳の緻密さ、法律知識、経験などによることになる。

 日本は世界で唯一の原子爆弾被爆国であり、原水爆の恐ろしさを最も良く知っている国である。その意味で核の非拡散、保有放棄、核実験の禁止について積極的な役割を果たすべきなのであろう。世界の中には自国の核保有、核実験についてはこれを正当化しようとする国もあるようであるが、国力の誇示とか、他国に対する威嚇、牽制、対抗のために核保有をすることは止めて欲しい。

 冒頭の笑い話になぞらえてみれば、
某国の首相は原水爆実験禁止訴訟を起こされた。首相は直ちに弁護士に依頼したが、それは極めつきの難しい裁判だった。首相側には、なにひとつ有利な点がなかったのだ。それでも首相の弁護士は秘術の限りを尽くして闘った。その結果、漸く勝訴判決を勝ち取ることができた。

首相の弁護士は頼まれた訴訟に勝ったので得意満面で首相に向かって言った。
「やっぱり正義が勝ちましたよ。」
すると首相はさっと顔色を変えて、
「すぐ控訴してくれたまえ。」

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