故事ことわざ考【2】

藤田 耕三

 ことわざ、格言に教えられるという意味では、我々法曹の仕事に縁のある、フランスの法格言がある。

 「証書は証人を凌ぐ」

 パリの大審裁判所(おおむね、わが国の地方裁判所に相当するとされる。)では、年数回しか人証の取調べがされないと聞くが、私も、かつて駆出しの時代に、先輩から、民事裁判での事実認定では、人証よりも書証を重視しなければならない、と教えられたことを思い出す。もちろん一般論であって、ケース・バイ・ケースなのではあるが。
もう一つ、証拠に関しては、

 「紙は顔を赤らめることなく虚言をつく」

というのがある。陳述書の活用はもちろん結構であるが、反対尋問もまた大事ということであろうか。
日本のことわざのなかには、三という数字がからむものがたくさんある。例えば、

 「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」
 「猫は三年の恩を三日で忘れる」


という対になったことわざがある。猫好きからは異論があるかも知れないが、猫は人につかず家につくと言って、引越しのときに飼猫だけが以前の家に戻ってしまったという話が昔からある。

 ところで、猫のことで思い出す事件がある。やはり仮処分事件なのであるが、ある朝、判事室の私の机の上に出された事件記録の表紙の事件名欄を見てみると、何と「猫引渡仮処分」と記載されているではないか。一瞬我が目を疑ったが、読違いではなかった。記録を読んでみると、シャム猫だったかペルシャ猫だったか、チンチラ・シルバーという高貴な猫をめぐっての紛争であった。この種の猫の愛好者の集まりであるクラブの設立をめぐってごたごたが生じ、出資者の一人が設立を企画した飼主の家に赴き、返還を求めている出資金のかたとして、牡猫二匹を連れていってしまった。
 そこで、飼主が二匹の牡猫の即時引渡しを求める、いわゆる断行の仮処分命令を申請してきたというのが、事案の内容であった。この猫達は、血統書付きであることはもちろん、猫銘鑑―そのようなものが存在することは、この時に始めて知ったのであるが―にも写真入りで掲載されており、そのうちの一匹は「アシュレー」、もう一匹は「三郎」というちゃんとした名前もついている。「アシュレー」は、マーガレット・ミッチェルの「風とともに去りぬ」に登場する、レット・バトラーの恋仇で、スカーレット・オハラの意中の人であったアシュレー・ウィルクスの名前を頂戴した時価百万円もする猫なのである。ちなみに、もう一匹の「三郎」は、時価三十万円位ということなので、どこが違うのか尋ねたところ、左右の目の色が違うところが減価要因ということであった。それぞれに、名前相応の価額というべきか。
 ところで、断行の仮処分については、ご承知のとおり、どうしても即時に引き渡して貰わなければ困るという強度の必要がなければ発令されることはない。この事件で即時引渡しが必要な理由がどこにあるのかを債権者である飼主側に釈明を求めたところ、このような高貴な牡猫の種付料は、相当な高額となるのだそうである。そこで、「アシュレー」も「三郎」も、酷使に喘いでおり、息も絶え絶え、倒れる寸前であるため、即時引き取らなければ死んでしまいかねないとのことであった。

 その後いろいろあったが、結局即時飼主への引渡しを命ずる仮処分決定が発令され、執行も終って、「アシュレー」と「三郎」は、無事飼主の許に戻り、一件落着となったのである。
 ところで、後日、司法修習生達に話をすることとなった折に、この事件のてん末を取り上げたところ、修習生の一人から、

 「猫達は、その時さかりの時期だったのですか。」

と質問され、私は愕然とした。断行の必要性に大いに関係のあることであろうが、当時私の念頭には全く浮かばなかったことだったからである。
 最後に、外国の金言を一つ。往年のモノクロの名画「ライムライト」のなかで、大道芸人に扮したチャーリー・チヤップリンが語る台詞である。

 「人生に必要なものは、勇気と想像力、そして少々のお金だ。」

※この記事は、「法曹」第568号に掲載されたものを転載したものです。

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